思考

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どうも頭の中が古い綿くずのようなものでいっぱいになっていて、考えがうまくまとまらない。

まとまらないなら、まとまらないでいいから構わずその考えを書いてみようと思う。

 

人には唯物的な思考と観念的・情緒的な思考とがあるような気がする。

観念的な思考は、その裏付けとなる実態がないからとても危ういように思えて、だからできれば唯物的な思考にのみ意味があるような気がしていた。

しかし最近、唯物的な思考だけでは人はうまく行動できないのではないか、と考えるようになった。

唯物的な思考だけでは人はどう行動していいか分からない、のだと思う。

例えば日々の些末な行動にしろ、何か大きな行動を決断するにしろその基盤となっているものは、ニュートンでもなければ量子論でもない、と思うのだ。

その基盤となっているものは、体の中にうっすらと入っている論語の言葉だったり、仏教の片々だったりするのではないか?

 

だから人は、観念的でなんだか”思想”と思えるようなものをベースに行動し、自分の周りの世界をまた唯物的な思考方法で把握しているような気がする。

 

しかしながら、最も身近な行動は情緒に支配されたものだろう、とは一番に考えられる。

例えば、「懐かしさ」という情緒的な思いから、街道沿いの古い家並に強力に引かれて江戸時代の五街道をみんな歩いてしまう、という人などざらにいる。

おそらく人の直接的な行動の原理は、この情緒的なものではないかと考えられる。

趣味にはまり込んで暇さえあればそこに没頭するなどのほとんどが、何かしら情緒的な思いに駆られてのことだろうと思われる。

 

このような心理を明快に解説した本はないものだろうか?

自分の頭のボケボケさかげんを他人に期待する、というのもなんだかナと思うけれど、ヨワイ重ねて古綿が増えるばかり、ぴかりとも発光ぜず、記憶は日々に薄れて、自分の頭じゃないような気がする日々。

 

しかし呆けるというのはある面でいいことだとは思うけれど。