哀悼

せめて桜を

 

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 夕刻の成城駅前を何度もうろうろと探し歩く。

高級住宅街の駅前には、縄のれんの1軒だにもない。

しかしどこかで一杯やらなければ、どうにも心が落ち着かない気がする。

 

残された奥さんが思ったよりも明るい顔を見せてくれたことが、せめても救いだったように思う。

 

古い友人が昨年末突然亡くなった。それは思いもかけなかったことで、衝撃だった。

残された人のことを考えると、少し落ち着いてからお悔やみにいった方がいいだろうと思って、今日になってようやく行く決心をした。

それは、後に残された奥さんのことを思うと同時に、自分の気持ちが落ち着く必要をも感じたからだった。

 

行く道々、奥さんにどういう顔をしたらいいのか考えたが、ただありのままの顔をぶら下げて訪問するよりほか、思い及ばなかった。

訪問した際、出てきた奥さんの顔を見て少し安堵した。思っていたよりも明るく応対してくれ、救われた気がした。

 

67歳の、思えばまだ早すぎる死であった。外から戻って、突然頭が痛いと言いだし、あれよあれよの間に、倒れてから2日後に死に至ったと言う。

脳内出血であるらしかった。平素血圧が高かったと言うこともなかったらしく、ほんとに突然死に見舞われたらしい。人の死は予測がつかない。

 

彼の写真をいくつか見せてくれ、思ったよりも坦々とその状況を話してくれた奥さんは、自分が思っていたよりもはるかに気丈な人のように思えた。

 

 

彼は、誰にでも同じように飄々坦々と接していた、だから皆、彼を好ましい人物だと思っていた、と、自分の思っていたことをぼそぼそと話した。

確かにそういう人間だったと思う。誰に対しても、自分の好悪を顔には出さなかったし、人によって付き合い方を変えるということもなかった。だから、付き合っていた者は皆、彼の前ではゆるゆると安心し、こころが開かれたのだと思う。

 

聞けば、父親を早くに亡くし、街工場に勤めていた時に奥さんと知り合ったのだそうだ。奥さんも小学低学年で父親を亡くし、母親と一緒に富山県から東京の世田谷に越してきたのだそうだ。

同じような身よりの青年と娘が、お互いに引かれ合って結婚し、さまざまな場所に観光した写真を見せてくれた。二人の間に子どもは出来なかったようだが、とても仲の良い夫婦だったように傍目からも見えていた。子どもがないだけ、一層二人の間は濃密だったのかもしれない。

 

 

駅ビルの中にようやく居酒屋を見つけた。それは今風の軽薄な居酒屋であり、気に入らなかったけれど、ともかくも風が出てきた表から入れば暖かさでほっとした。

 

 

酒を飲んだ。

少しばかりの酒を飲んだ、