夜半寝覚

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宮崎駿と養老孟子の対談本を読んだ。大分古い本。

あの頃でも、宮崎駿がどれほど現在の世の中に失望していたかが分った。

それと併せて、先日若い人たち(高・大女子)が、SNSや恋愛関係でどれほど悩んでいるかという講演会を聞いた。

それらに触発されて少し思うことがある。

 

人は偉大な存在であると思うが、また悲しき存在でもある。

偉大な存在だと思うのは、現在曲がりなりにもある程度民主的な世の中になったと思う。

前世紀以前に比べれば、ほんのわずかな他人に不当に圧迫されたり殺戮されたりすることは減ったのではないか。

また、医療の発達によってまだ若くして、無念に死ぬということも減ったと思う。

それは人が努力して実現した来たことで、この点で人は偉大だと思う。

ひるがえって人は悲しき存在だと思うのは、当面目の前に無念に死ぬ、あるいは無残に死なされることや、食うことに奔走されることが少なくなったと思う。だから前世紀以前に比べれば生きることを謳歌していいように思うのだけれど、安全や食糧確保に奔走されなくなった分、それだけ意識が自分の内部にだけ向かったのか、考えなくてもよいことまで考えて苦しむようになったような気がする。

 

生きることに対して、人は上手なのか下手なのか。

 

 

駄句

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          ・秋立ちて伊根の浦々夢遠く

          ・虐殺をつたなき絵に見る震災忌

          ・花咲いて葛の進軍止まりけり

          ・出雲路へ独り気どるか秋遍路

          ・侘びしいと鈴虫なくや薄ら闇

          ・歯の笑顔日焼けの少女登校す

          ・秋海棠我は季節をこれで知る

          ・銀木犀どこだどこだと里の道

          ・月煌々空群青に雲光る

          ・六尺にこもる無念や糸瓜の忌

 

 

沈香!?

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沈香もたかず屁もひらず。・・・という人がいたので言った。

沈香はともかく、屁ぐらい思い切りひったらどうでしょう」

「うんにゃ、屁などという下品なものはひってはいかん。あの音の下品さを思うと汗が出る」

「”ぶっ”てなのはいっそ豪快ではないですか。よしんば”ぷっ”だって可愛らしい」

「ああにを言うかね、きみィ。”ぶ”や”ぷ”はまだしも、ぶっ、ぶっ、ぶっ・・・と連発などした日にゃあどこへ顔を向けていいかわからん。ましてや少し湿気っていて、びィ~~、びィ~~などとなったら汚くていかん!

「解りました。少なくても湿っぽい奴はだめですね。なら、明るくぴ~~、ぴ~~ってなのはどうです」

「腹下しのようだね。胃薬を飲んだらいいだろう」

「では趣を変えまして」「変えんでもいい」

「変えまして、ばふっ、ばふっ、とか、ぼんっ、ぼんっなどはいかがでしょう」

「なにやら夏の夜の花火のようだけれど、まあ景気がいいから許す」

「では少し高級になりまして、す~~、す~~、などは?」

「これが高級かね。嫌だねすかしっぺ!」

「よくないですか。では最終的なやつ。・・・、・・・」

「これは何かね??」

「究極の屁、音なしの極意」

「しかしそういうのは、臭いだろう」

「そりゃあ、どっちかですよ。音はすれでも臭いはなしか、音は無くても臭いはきつい」

「屁はすべからく基本に忠実なるべし。上品にして気品を備えその音をして人を感心させる。これぞ極意なり。一朝一夕にして屁はなりがたし」