駄句
(風炉)
★風炉据えて窓辺に雨を聞く日かな
★風炉於いて竹林抜けし風通る
★風炉手前湯の沸く音と葉擦れ聞く
(茄子植う)
★茄子植うる人に里道聞く日和
★一面のキャベツの隅に茄子植えよ
★茄子植うる奥山淋し老夫婦
本音②
九州のテレビ映像を見るたびに、大変な惨状だと思う。
どうしてあんな風な地震が続いたのか、どう考えても分からない。
と同時に、被災された方々の今後の安全を思う。
で、安全を思う、というところで行止まりになっていて、その先はない。
webで見かける言質は、”・・・をお祈りしています”とか、”居ても立っても居られない気持ちです”とか、単に「思う」ところで留まってはいない。
ほんとかな? と思う。被災してない者にとっては、まず自分の日常がある。その日常をひとまずはこなさなければならない。
”お祈りしています”、”居ても立っても居られない”人達は、その自分の日常をどう過ごしているんだろう。
このように考えるから、今はやりの、”癒された”、”勇気を貰った”、”ふれあい”、”絆”などの言葉に、違和感と、その上に反発さえ覚える。こういう言葉を発する人の心情は、まったき本音なのだろうか。それとも、ただ、はやり言葉を使ってみただけなのだろうか。
自分の心情や本音まで、はやり言葉に流されたくはない。