本音②

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九州のテレビ映像を見るたびに、大変な惨状だと思う。

どうしてあんな風な地震が続いたのか、どう考えても分からない。

と同時に、被災された方々の今後の安全を思う。

 

で、安全を思う、というところで行止まりになっていて、その先はない。

 

webで見かける言質は、”・・・をお祈りしています”とか、”居ても立っても居られない気持ちです”とか、単に「思う」ところで留まってはいない。

ほんとかな? と思う。被災してない者にとっては、まず自分の日常がある。その日常をひとまずはこなさなければならない。

”お祈りしています”、”居ても立っても居られない”人達は、その自分の日常をどう過ごしているんだろう。

 

このように考えるから、今はやりの、”癒された”、”勇気を貰った”、”ふれあい”、”絆”などの言葉に、違和感と、その上に反発さえ覚える。こういう言葉を発する人の心情は、まったき本音なのだろうか。それとも、ただ、はやり言葉を使ってみただけなのだろうか。

 

自分の心情や本音まで、はやり言葉に流されたくはない。

 

 

 

駄句

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(山吹)

・山吹や阿蘇埋つくすほどに咲け

・山路越え山吹あかるき里に出し

・山吹の一枝かざさん御堂仏

・山吹の陰に臥せたし草枕

・山吹や風なき夕べにほろと散る

 

 

(汐まねき)

・ちび共が挑む姿や汐まねき

・青空をその手でまねけ汐まねき

・振り立ててたれ呼ぶつもり汐まねき

・誤って怪し火まねく汐まねき