化天

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養老孟司の本を読んでこんなことを思う。

 

養老先生は言う。 この世界はしょせん我々の脳みそが作り出した世界に過ぎない。その脳みそが作り出した世界を、また脳みそが見てああだ、こうだと文句を並べる。極端な言い方をすれば、すべては夢と幻に過ぎないのかもしれない。

 

だから、中世の人は言った。

人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり、滅せぬもののあるべきか

ならば、生まれた我々はどう生きればいいのか。どうせ滅する身の上なれど、生まれたからには生き抜くのが、まあ正統であろうと思う。

 

 

 これは太古以来の問題なのだろうけれど、所詮、難しく考えても難しくなく考えても、一人ひとりの人が生きていくことに変わりはない。難しく考える人も、のほほんと軽く考える人もいるはずだ。どっちがいい悪い、どっちが正しい正しくない、などの問題ではないように思う。

 

唯一の正解みたいなものがあるとすれば、おそらく「精一杯に」ということではないのかと思う。それだって、「ああに! 精一杯なんてこたあ、オラ考えねかっただよ。ナ~~~ンとなくここまで来ちゃっただから」という人だって多いと思う、(その一人だけど)

 

たかだか脳みそが作り出したこの世界を、他でもないその脳みそが見て判断しているのだから、この世界というものも何ぼのものか。その怪しげな世界(世間)を見てああだ、こうだと悩むのもばからしくなってくる。

 

所詮そんなものならば、この世界(世間)は、いい加減に考えておけば済みそうに思える。ただし、この錯綜した世間で、金を儲けようとか出世しよう、とか考えるのであれば、これはまた別の話になるのだろう。この世界には、そのように考える人が死ぬほどいる。まさにそのなかで、生存競争に打ち勝たねばんらないのだから、ことは「どうでもいいや」という訳にはいくまい。せいぜい死ぬ物狂いで頑張ってくれや。

 

 

そのように思わぬ人は、この世界(世間)は、

実にいい加減なものなのだ、と思えばいい。

実際いい加減なものだと、養老先生が言っている。

(言っていないかなあ?? )

 

 

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