無題

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こちらのブログは秘密だったのだけれど、少しずつばれた。

ばれたなら仕方がない。秘密でもなんでもなく書くしかない。

 

となると、今まで秘密の部屋で腹にたまった澱をぶちまけて、やや均衡を保っていた、その部屋がなくなるわけだ。言わば”はてな”は余計なことをやってくれたと思う。この国では儲け主義は嫌われるのになあ! 

 

 

ふと考えたのだが、老人の日常生活をだらだら綴って何か意味があるのだろうか? 大体老人の日常は死ぬほどつまらない。何か刺激的なことが起こるわけでもないし、ワクワクするような体験をするわけでもない。

 

ただ極めて平滑で平凡な起伏のない時間が流れていくだけなのだ。少なくても自分にとってはそうだ。そんなものを読んで面白いなあ、と思う人はいない。若い人なら一言、面倒くせいなあ、で終わりだろう。

 

にもかかわらずだよ、ブログを書くのはあれだな。きっと書くことによって自分の気持ちを整理しているんじゃあるまいか。おそらく、衰えたりといえど脳みそに日々何かが浮かび上がりそれがアミロイドベータみたいに溜まってくるのだろう。たぶん!それを書くことによって整理してしまいたい。そうだろうと思う。

 

 

もしも、このようなことであれば、ブログを書くことはあながち無駄ともいえないような気がする。書くことによって、脳みそにたまったアミロイドベータはどうすることもできないとしても、少なくとも脳みそのなにかは整理できるのかもしれない。

 

人間というものは面倒くさいものだ。半分人間をあきらめたと思われる老人だって、こんな手続きを踏まないと平衡が保てないらしい。だから、諸行無常、世に真実なんぞ一つもなし、の心境になればこんな面倒はいらない。

 

 

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ともあれ、近いうちにこっちのブログを何とかしなくてはならないらしい。

だけど面倒だからその時までほっておく。

ダメになったらそれまでだ。