秋の日

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11月の初めころ、幾日かきらきらするような美しい秋の日が続いた。

朝カーテンを開けて空が青いとそれだけで嬉しくなってしまう。特段どこかへ出かけるという目当てさえないのだけれど、日々のちょっとしたいいことが嬉しい。歳をとってむき出しの欲も得も希薄になったためかもしれない。

特に春と秋の季節のいい日が晴れていれば、一日中なんだか得した気分にさせれる。青い空に浮かぶ白い雲を眺めてもいいし、暑からず寒からずの風がそよそよと吹きわたってくるだけでもいい。だいぶ安上がりな満足感だなあ!

 

そんな日は寝転んで読み古しの文庫本を読み返すのも楽しい。

このところ、養老孟司宮脇俊三、内田百閒を順繰りに巡るのが習い性となってしまったようだ。いずれも文章の達人と解説されたりしているが、そのせいだろうか読んでいて大変に心地がいい。

養老先生を除いて、いづれも大したことは書いていいないように思えるのだけれどなぜだかよく分からないのだが、読んだ後じんわりと気持ちに染み入ってきて、また読みたくなってくる。この点は養老先生の本も全く同じだ。

読み古しの昔の本を、2度も3度も読んで嬉しがっているのは、こりゃあ、ひょっとしてバカなんじゃあるまいか、とときどき思うのだが、こればかりはどうにもならない。時として本屋に立寄り今どきの(例えば磯田道史中野信子)などを購入して読んでみるがちっとも面白くない。多分面白い本を見つけられない症候群かも知れない。

 

家の中にくすぶっていないで、そんな日は表に出ろや。

という声が聞こえてくるのだが、これは自分でも驚くほどその頻度が落ちてしまった。少し前なら、晴れていれば言われる前に飛び出していたはずなのだ。そのことは、自分でも危機的状況なのでは? と思う。

かくてはならじと思う。どうせ年寄りのさんぽなのだからまたもとのように頻繁に歩かなくてはいけない。出てみれば案外面白くてそれなりに満足するかもしれないのだ。

 

さあ! 近日中に晴れてくれないかなあ!