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わが民族は?
「中世=憂き世 vs 近世=浮き世」
と喝破した人がいる。
わが民族の思想の重層性を示しているとのこと。
すぐに思い浮かぶのは、鎌倉時代=『方丈記』『徒然草』、これに対し江戸時代=『浮世床』『好色一代男』など。
なるほどなあと思う。
話によると、両時代とも、この世は「無常」である、という無常観は同じであるが、中世では「無常であるから、この世のしがらみを捨ててこそ、こころの平安が得られる」という認識になる。
ところが、近世になると「無常であるから、今現在を楽しく生きねばならない」という具合に変化した。のだそうだ。
なお、ついでに言えば、「古代の日本人は楽天的で現世的であった」とのことである。
こうして並べてみると、わが日本民族の特質のようなものがほんのり見えてくるような気がする。
生き方の思想としての流れは、古代=「楽天的で現世的」→中世=「悲観的で厭世的」→近世=再び「楽天的で現世的」といういことになるだろうか。
これは日本社会に「仏教」という外来思想を入れてみると理解しやすい。
日本民族は、本来的に楽天家なのだろう。だから、哲学も宗教教義も生まれなかった。
しかし中世になると、海の向こうから来た思想である仏教が、それまでの加持祈祷仏教から生き方の思想としての仏教に変質し、「仏教的無常感」に浸されてしまう。
なにしろ島国民族だから、海の向こうからやってくる物事にかぶれやすい。(今でも変わらない)
そうして無常観が流行したのだけれど、本来の楽天的、現世的生き方にはどうもぴったりしない。
そこで近世になると、再び本来的な楽天的無思想に戻ってしまう。
だから日本民族の特質は、
海の向こうからやって来るものにすぐかぶれるけれど、時間がたつとやっぱり自分たち本来の姿に戻ってしまう。
現在もこれは続いていると思う。