秋の日

f:id:doniti:20181105181947j:plain

 

11月の初めころ、幾日かきらきらするような美しい秋の日が続いた。

朝カーテンを開けて空が青いとそれだけで嬉しくなってしまう。特段どこかへ出かけるという目当てさえないのだけれど、日々のちょっとしたいいことが嬉しい。歳をとってむき出しの欲も得も希薄になったためかもしれない。

特に春と秋の季節のいい日が晴れていれば、一日中なんだか得した気分にさせれる。青い空に浮かぶ白い雲を眺めてもいいし、暑からず寒からずの風がそよそよと吹きわたってくるだけでもいい。だいぶ安上がりな満足感だなあ!

 

そんな日は寝転んで読み古しの文庫本を読み返すのも楽しい。

このところ、養老孟司宮脇俊三、内田百閒を順繰りに巡るのが習い性となってしまったようだ。いずれも文章の達人と解説されたりしているが、そのせいだろうか読んでいて大変に心地がいい。

養老先生を除いて、いづれも大したことは書いていいないように思えるのだけれどなぜだかよく分からないのだが、読んだ後じんわりと気持ちに染み入ってきて、また読みたくなってくる。この点は養老先生の本も全く同じだ。

読み古しの昔の本を、2度も3度も読んで嬉しがっているのは、こりゃあ、ひょっとしてバカなんじゃあるまいか、とときどき思うのだが、こればかりはどうにもならない。時として本屋に立寄り今どきの(例えば磯田道史中野信子)などを購入して読んでみるがちっとも面白くない。多分面白い本を見つけられない症候群かも知れない。

 

家の中にくすぶっていないで、そんな日は表に出ろや。

という声が聞こえてくるのだが、これは自分でも驚くほどその頻度が落ちてしまった。少し前なら、晴れていれば言われる前に飛び出していたはずなのだ。そのことは、自分でも危機的状況なのでは? と思う。

かくてはならじと思う。どうせ年寄りのさんぽなのだからまたもとのように頻繁に歩かなくてはいけない。出てみれば案外面白くてそれなりに満足するかもしれないのだ。

 

さあ! 近日中に晴れてくれないかなあ!

 

 

 

盛夏

f:id:doniti:20180814114048j:plain

 

8/4(土)は、「ぶら多摩散歩」で黒目川に行く。

参加者は5名、おおよそ思っていた通りに少ない、けれど暑いさなかこれでちょうどいいとも考える。

途中、道を間違ってロス。これが効いて落合川源流部までしか行けなかった。

「ぶら多摩散歩」始まって以来の途中終了、ま暑すぎるから仕方がない。

暑い暑いといっても、水分補給、適宜なる休憩を考慮すれば、いわゆる「殺人的猛暑」なんて大げさすぎる。クーラーのない時代もあったのだから。

 

8/12(日)は、「ぶら多摩下見」で企画者Ⅰ氏と清瀬、平林寺方面を歩く。

雲が被さって痛いような陽射しはないけれど、その代わり風がほとんどない。じっとりと蒸し返され、これはこれでしんどい。

感心したのは「清瀬金山緑地公園」の中を流れる柳瀬川の水のきれいさ。新座に住んでいたころこの川を見ているが、どぶ川だったような記憶が残っている。

場所によりけりで、この公園辺りは特に水質に気を使っているのだろう。小魚がきらりきらりと腹をきらめかしつつ泳ぐのが、岸辺からでもよく見える。

柳瀬川は一級河川であり、管理は国なのでこの公園は正式には「柳瀬川調整池」とかいうらしい。要するに増水時の水溜め施設、しかし清流だからカワセミがいて例によりバズーカ砲レンズの爺さんたちがいる。

昼飯はうどん屋久兵衛」。旨くない。

平林寺は何回も見ているので、今日はパス。

新座の駅前、飯屋「いちげん」で軽く一杯。飲み物つまみも思いのほか充実。

 

それにしても、どうも足の具合が悪い。

外反母趾のため歩き方が変てこりんになっているのだろう、やたら疲れて歩けなくなる。

このまま歩行困難爺さんになるのだろうか? それだけは無しにして欲しいけれど、これも自業自得というものなのだろうか?

せいぜい労わりながら出来るだけ長持ちさせるしかない。

 

 

 

読書

f:id:doniti:20180729190531j:plain

 

 

埃を払って引っ張り出した本。

『武蔵野物語』三浦朱門集英社新書・2000・第1刷)

 

内容はほぼ忘却の彼方、それなので読み返しは新鮮。

その構成は、おおよそ、

1部ー武蔵野の地形地誌、歴史

2部ー東京府立2中(現・立川高校)の同級生たち

3部ー石川酒造の古文書

 

さすがに文書家、読み進むうちに叙述の的確さに引き込まれ、

改めて武蔵野の何たるかを教えられたる心地す。

 

1部~今までの「ぶら多摩活動」で内容はほぼ了解事項。

 

2部~旧制中学生の飾らない、おおらかな交友。

都内からの入学者を「東京白人」、多摩地付きの入学者を「武蔵野インデアン」

と呼び習わしていた由。

著者は密かに旧友たち、とくに地付きの旧家の同級生を「多摩豪族」と。

 

3部~古文書解読から見えてくる、多摩に生き多摩に留まる豪族の生活。

名主階層の豪族の、江戸時代を通じて次第に頭角を現してくる自立の過程。

江戸は間違いなく近代を用意していた?

 

一度読んだはずなのに、

いやあ! 改めて読ませられた。

 

あっぱれ!!!