盛夏

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8/4(土)は、「ぶら多摩散歩」で黒目川に行く。

参加者は5名、おおよそ思っていた通りに少ない、けれど暑いさなかこれでちょうどいいとも考える。

途中、道を間違ってロス。これが効いて落合川源流部までしか行けなかった。

「ぶら多摩散歩」始まって以来の途中終了、ま暑すぎるから仕方がない。

暑い暑いといっても、水分補給、適宜なる休憩を考慮すれば、いわゆる「殺人的猛暑」なんて大げさすぎる。クーラーのない時代もあったのだから。

 

8/12(日)は、「ぶら多摩下見」で企画者Ⅰ氏と清瀬、平林寺方面を歩く。

雲が被さって痛いような陽射しはないけれど、その代わり風がほとんどない。じっとりと蒸し返され、これはこれでしんどい。

感心したのは「清瀬金山緑地公園」の中を流れる柳瀬川の水のきれいさ。新座に住んでいたころこの川を見ているが、どぶ川だったような記憶が残っている。

場所によりけりで、この公園辺りは特に水質に気を使っているのだろう。小魚がきらりきらりと腹をきらめかしつつ泳ぐのが、岸辺からでもよく見える。

柳瀬川は一級河川であり、管理は国なのでこの公園は正式には「柳瀬川調整池」とかいうらしい。要するに増水時の水溜め施設、しかし清流だからカワセミがいて例によりバズーカ砲レンズの爺さんたちがいる。

昼飯はうどん屋久兵衛」。旨くない。

平林寺は何回も見ているので、今日はパス。

新座の駅前、飯屋「いちげん」で軽く一杯。飲み物つまみも思いのほか充実。

 

それにしても、どうも足の具合が悪い。

外反母趾のため歩き方が変てこりんになっているのだろう、やたら疲れて歩けなくなる。

このまま歩行困難爺さんになるのだろうか? それだけは無しにして欲しいけれど、これも自業自得というものなのだろうか?

せいぜい労わりながら出来るだけ長持ちさせるしかない。

 

 

 

読書

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埃を払って引っ張り出した本。

『武蔵野物語』三浦朱門集英社新書・2000・第1刷)

 

内容はほぼ忘却の彼方、それなので読み返しは新鮮。

その構成は、おおよそ、

1部ー武蔵野の地形地誌、歴史

2部ー東京府立2中(現・立川高校)の同級生たち

3部ー石川酒造の古文書

 

さすがに文書家、読み進むうちに叙述の的確さに引き込まれ、

改めて武蔵野の何たるかを教えられたる心地す。

 

1部~今までの「ぶら多摩活動」で内容はほぼ了解事項。

 

2部~旧制中学生の飾らない、おおらかな交友。

都内からの入学者を「東京白人」、多摩地付きの入学者を「武蔵野インデアン」

と呼び習わしていた由。

著者は密かに旧友たち、とくに地付きの旧家の同級生を「多摩豪族」と。

 

3部~古文書解読から見えてくる、多摩に生き多摩に留まる豪族の生活。

名主階層の豪族の、江戸時代を通じて次第に頭角を現してくる自立の過程。

江戸は間違いなく近代を用意していた?

 

一度読んだはずなのに、

いやあ! 改めて読ませられた。

 

あっぱれ!!!

 

 

 

今何が?

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近頃巷に流行るもの。

 

・幸福の木 ・心霊スポット

・触れ合う ・癒される ・勇気をもらう

・人の温かさ ・みんないい人

 

実態の重さのない、ふわふわと宙に浮かんだ言葉たち。

 

 

その裏で、

 

いまこの国で、何が起こっているのか!?

 

誰かそれをきっぱりと教えてくれ!!!!!