怒涛
体調につき、1月からの経緯は以下の如し。
・1/4突然血尿。深紅の地がほんの少し混じる。翌日も同じ。1/6止まる。
・1/6立川中央病院受診。泌尿器科なく不明。災害病院の紹介状をもらうのみ。
・1/10災害病院受診。現在CT等の機械満杯につき1/31まで待ち、とのこと。
・調べるところ膀胱、腎臓のガンしか考えられず。
・1/31CT検査終了。
・1/27試験。結果はドッペり。
・2/2膀胱内視鏡検査。・・・いずれの検査も異常なし。
医師の話・・・前立腺が弱いので何らかの原因での出血では?
ともかく大いに安堵す。
・2/5風邪の模様あり。体がすごくけだるい。2/6,2/7起き上がれず。
・2/8古文書勉強会欠席。2/10ぶら多摩ウォーキング不参加。
・2/15裏高尾下見。ものすごくかったるいけど終点まで。篠崎氏。
・2/16左足痛む。2/16~2/18同様の症状。
・2/19句会。足を引きずりながらどうにか出席。
・2/20足の痛みまして歩けず。歯科取り消し。
立川中央病院整形外科、内科受診・・・痛風の疑いありとのこと。
外科:痛み止めのみ処方 内科:小検査サンプル、血液検査サンプル採取・風邪薬
・2/21高齢運転講習延期。2/23遊生会不参加。すべて3月に延期。
・2/27立川中央病院再診・・・尿酸値の値から痛風の疑いなし。安心す。
・2/28、3/2短い散歩。概ね歩けるが距離長くなると拇指付け根に痛み。
自己診断・・・暮れから正月のかけ朝、昼、晩を他わず飲酒。1/4体調崩すを感ず。
この呑み過ぎが血尿、重い風を引き起こせしならむ。
足の痛みは風邪で体調不良にもかかわらず10キロ歩きし為ならむ。
酒はほどほどに!!!!
思考
どうも頭の中が古い綿くずのようなものでいっぱいになっていて、考えがうまくまとまらない。
まとまらないなら、まとまらないでいいから構わずその考えを書いてみようと思う。
人には唯物的な思考と観念的・情緒的な思考とがあるような気がする。
観念的な思考は、その裏付けとなる実態がないからとても危ういように思えて、だからできれば唯物的な思考にのみ意味があるような気がしていた。
しかし最近、唯物的な思考だけでは人はうまく行動できないのではないか、と考えるようになった。
唯物的な思考だけでは人はどう行動していいか分からない、のだと思う。
例えば日々の些末な行動にしろ、何か大きな行動を決断するにしろその基盤となっているものは、ニュートンでもなければ量子論でもない、と思うのだ。
その基盤となっているものは、体の中にうっすらと入っている論語の言葉だったり、仏教の片々だったりするのではないか?
だから人は、観念的でなんだか”思想”と思えるようなものをベースに行動し、自分の周りの世界をまた唯物的な思考方法で把握しているような気がする。
しかしながら、最も身近な行動は情緒に支配されたものだろう、とは一番に考えられる。
例えば、「懐かしさ」という情緒的な思いから、街道沿いの古い家並に強力に引かれて江戸時代の五街道をみんな歩いてしまう、という人などざらにいる。
おそらく人の直接的な行動の原理は、この情緒的なものではないかと考えられる。
趣味にはまり込んで暇さえあればそこに没頭するなどのほとんどが、何かしら情緒的な思いに駆られてのことだろうと思われる。
このような心理を明快に解説した本はないものだろうか?
自分の頭のボケボケさかげんを他人に期待する、というのもなんだかナと思うけれど、ヨワイ重ねて古綿が増えるばかり、ぴかりとも発光ぜず、記憶は日々に薄れて、自分の頭じゃないような気がする日々。
しかし呆けるというのはある面でいいことだとは思うけれど。
我等
我が民族はいつだって外国文化に頭が上がらない。
明治文明開化から約150年、いまだに外国が一番エライと思っている。
政治と経済はアメリカの言うまま子分のように従っているし、庶民の、下々の文化だって外国をひたすら奉って倦むことがない。
曰く、リゾット!?・・・日本に古来からある「おじや」じゃねえか!
曰く、パスタ!?・・・・日本蕎麦のほうが格段に旨えと思わないか!
曰く、スイーツ!?・・・「白玉しるこ」があるじゃないか!
・・・ ・・・
日本がまだ建国まじかなころ、随、唐に学びこれをまねたのはある意味仕方がなかったかもしれない。
しかしそれが終われば、たちどころにしてアメリカ、西洋に葦の如く靡いて憚らず。
足元に貴重なものが打ち捨てられ転がっている。